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岡崎市郷土館:愛知県岡崎市

2013年11月24日 第45回おかざきマラソン 天候:晴れに行った際に撮影

場所:愛知県岡崎市朝日町3-36-1※岡崎市観光協会HP

岡崎市郷土館

旧額田郡公会堂の建物と旧物産陳列所

岡崎郷土館収蔵庫

最後のゴール前が強烈な坂道で歩いてしまったためこれはダメダメ。1時間10分くらいかかってしまったかな?と思っていたら。。。58分台でした♪♪

岡崎郷土館本館 旧額田郡公会堂

■岡崎市の重要文化財に指定されたことを伝えるページ※現在見当たらない■から引用

旧額田郡公会堂(現岡崎市郷土館本館棟)

昨年12月1日、岡崎市郷土館建物が国の重要文化財に指定されました。
  郷土館は昭和44年(1969)に開館し、昨年、無事に三十周年を迎えました。この間、所蔵品のほとんどを市民の皆様をはじめとする一般の方々からの寄贈によって収集し、それらを展示に活かすなど地域に密着した歩みを地道に続けてまいりました。岡崎市にある博物館・美術館の中では、最も地味な館といえるでしょう。
  もともと、建物そのものは大正2年(1913)に建てられた額田郡公会堂と物産陳列所およびその看守室を利用したもので、築87年の長き歳月を経ており老朽化が目立ちます。市内に残る稀少な近代建築物とはいえ、特に指定文化財などにはあげられていませんでした。来館者の方々から「この建物はもともと何だったのですか。」と尋ねられることも多く、「昔の小学校みたい。」と懐かしく感じていただけるかと思えば、天井が高くて室内が暗いため幼い子どもさんには怖がられることもあります。
  せきれいホールと同じ敷地内にあり、また岡崎市役所からもすぐの所にあるにもかかわらず、案外知られていない建物でもあります。今回は重要文化財指定の報告にあわせて、あらためて郷土館建物の紹介をしたいと思います。 
重要文化財となった物件、指定理由は次の通りです。

建造物:旧額田郡公会堂及び物産陳列所

員 数:二棟 附 棟札1枚、銘札1枚及び門柱一所

所在地:岡崎市朝日町三丁目36番1号

所有者:岡崎市

指定理由(文化庁発表要旨)

旧額田郡公会堂は、当初額田郡(注1)の公会堂として大正2年(1913)に建設された。旧額田郡物産陳列所は、同年に旧額田郡公会堂と対面した位置に建てられ、昭和36年(1961)に現地に移された。現在、公会堂は岡崎市郷土館、物産陳列所は同収蔵庫棟として利用されている。
  旧公会堂は会堂棟、通用玄関棟、便所棟からなり、中央に櫛形(くしがた)ペディメント(注2)を設けたルネサンス様式建築構成になる。旧物産陳列所は、妻面にハンマービーム(注3)を用いたスティックスタイル(注4)を基調とした建築である。
  旧額田郡公会堂及び物産陳列所は、我が国における最初期の郡立の公会堂・物産陳列所建築であり、両者が一組で現存する数少ない例として貴重である。
  また、地方都市における公共建築の近代化を示すとともに、地方における西洋建築の様式的・技術的修得過程の達成度を示す建築遺構としても意義が認められる。(指定基準=歴史的価値の高いもの)

 注1:額田郡:当時の額田郡の行政区画は、現在の岡崎市(一部地域を除く)と額田郡幸田町・額田町が範囲である。
  注2:櫛形ペディメント:窓や出入口の上部に取りつけられた円弧形の部分。
  注3:ハンマービーム:壁面の上端などで水平に梁をはね出し、アーチで支える手法。
  注4:スティックスタイル:柱を外面に出して強調する様式。

 今回の指定によって岡崎市の重要文化財建造物の指定件数は11件、近代建築物としては初めての指定となりました。

旧額田郡公会堂及び棟札(むなふだ)・銘札(めいさつ)

 旧額田郡公会堂は木造平屋建て、桟瓦葺き、現在の郷土館本館棟として保存・活用されている建物で、大正2年に現在地に建てられた姿をほぼそのまま保っています。ただし、出入口および窓外側にみられる鉄製の竪格子は防犯上、後から取り付けられたものです。また、「セリ上がり式」の正面舞台は床下に収納されたままになっています。
  内部は建物の中心となる講堂(現展示室)のほか、中央に玄関ポーチ、東西両端に控室と貴賓室(共に現在は研究室)、講堂の東側に通用玄関と控室(現倉庫及び事務室)、さらに渡廊下を経て東端部に便所を設けています。
  各所に西洋建築を取り入れた和洋折衷の優雅なつくりがみられ、例えば外部では中央玄関上部の半円形の櫛形(くしがた)ペディメントやその左右にある翼部の切妻屋根のレリーフ(浮彫り)、内部では漆喰塗りの大壁や各部屋のグレードに合わせた天井飾り、舞台背後のギリシャ式建築様式であるドリス式円柱と楕円アーチなど、左官仕事に多くの見所をつくっています。
  この建物は額田郡会議事堂をはじめ各種の会合に使用され、市制施行後は岡崎市中央公会堂と改称、昭和42年の岡崎市民会館建設後に岡崎市郷土館となりました。 そして、棟札・銘札は屋根裏に上げてあったものです。
  棟札は表面に設計監督者「吉田榮蔵」の名前と受負人、裏面に大工受負人、石工を記しています。吉田榮蔵は明治5年(1872)生まれの建築技師で、鳥取県工手や愛知県土木技手などを歴任したことが判っています。受負人(うけおいにん)以下は居所が記され、いずれも岡崎もしくは近郊になっています。
  銘札は「下受人及従業者連名表」で、旧公会堂の建設に携わった基礎工事、石工、大工、鳶(とび)、鍛冶、ペンキ職、左官、電燈取附工夫、建具職、錺(かざり)職、瓦師、枌板(そぎいた)職といった13の職種と45名の職人名を書き留めたものです。居所は記されていませんが、棟札からみて同様に地元の職人であったと推測されます。

旧額田郡物産陳列所

 旧額田郡物産陳列所は現在、収蔵庫棟として考古・民俗資料を中心に収蔵している建物で、本館棟の南東側にあります。もともとは大正2年に旧公会堂の北側、現せきれいホール事務所棟の位置に南向きに建てられたものですが、昭和36年の愛知県勤労会館(現せきれいホール)建設に伴い、現在地に移築されたものです。
  木造平屋建て、桟瓦葺き建物で、内部は大きな広間一室からなっています。外壁は旧公会堂に合わせてコーナーや柱形(はしらがた、壁面から突き出して設けられた柱のこと)をつけて横板張りとしていますが、一方では四つ葉のクローバー型の花窓で外観を特色づけ、また、東西の妻面と正面両翼の妻面をハンマービームと半円アーチで飾るなど、異なるデザインもみられます。
  市制施行後には商品陳列所と改称、地方産出の商品・工芸品を陳列し、夏季には夜間開場も行っていました。移築後は拳闘空手道場になり、剣道・ボクシング・空手の屋内体育場として利用され、郷土館として開館後、昭和52年頃より収蔵庫としての使用が始まりました。

門 柱

 朝日公園敷地の西側入口にある花崗岩製の石柱です。日頃は見落としてしまいがちですが、大正初期の公会堂写真で確認できることから、おそらく公会堂と同時期に立てられたものと考えられます。かつて上部には球状の飾りが付いていました。
旧看守室

今回の指定物件にはなりませんでしたが、旧額田郡物産陳列所の西隣にあった建物で、公会堂・物産陳列所と同じく大正2年の建築です。現在は、公会堂であった郷土館本館棟の東側にあり、昭和36年、物産陳列所と同時に移築されたものです。郷土館作業棟として使用されています。
  木造平屋建て、桟瓦葺き建物で、内部は北側に土間と板間、南側に二間の和室と縁側廊下が付いています。公会堂・物産陳列所の看守室兼事務室であったもので、かつて和室は宿直室になっていました。

※上記のようにせっかく詳しく紹介してくれていたのに、どうしてページを削除したのかな?

まずは本館

残念ながら玄関に書いてある看板を見る限り、中を見学することが従来は出来ていたようです。

岡崎郷土館

岡崎郷土館

岡崎郷土館

岡崎郷土館

岡崎郷土館

岡崎郷土館

郷土館収蔵庫

岡崎郷土館収蔵庫

岡崎郷土館収蔵庫

岡崎郷土館収蔵庫

岡崎郷土館収蔵庫

ご覧のように収蔵庫は、郷土館本館と、管理事務所のスキマから見えるちょっと、さびしい場所にあります。デザインも特徴あるし色もキレイな状態なので、正面全景が見ることが出来ないのが少しモッタイナイ気がする建物です。

岡崎郷土館収蔵庫

岡崎マラソン10kmを走ったあとで、なんだかスタミナ切れのため、集中力・持久力なくあっさり撮影しただけであまり詳しく周囲を歩いてまわったり出来ませんでした。2013年鈴鹿シティマラソンももうすぐですが、鈴鹿にも街中散策できる楽しい施設があると楽しいので今後探してみよう

岡崎城によって帰ろうと思ったら駐車場が満車。人が多く訪れていたようでした。ホテルが近いと歩いていけるからなぁ~

■その他■

 岡崎市内に、残る近代建築やお寺を見てまわる。お寺は徳川家の家紋が瓦についているお寺が多かったなぁ~♪♪

旧岡崎銀行本店




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