富山県富山市 富山城 模擬天守
富山県富山市本丸1-62 :昭和29年に彦根城・犬山城などの現存天守閣を参考に設計された、鉄筋コンクリートの模擬天守です
***現地カンバンから引用***
国登録文化財 富山市郷土博物館(富山城)
昭和29年、富山城址一帯で富山産業大博覧会が開催されました。これは、昭和28年8月2日未明の空襲によって、壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業完了を機に開催されたものです。
その際、記念の恒久建築物として建設されたのが富山市郷土博物館(富山城)です。
旧本丸鉄門跡の石垣上に建てられた、鉄筋コンクリート造りの建物で 望楼(ぼうろう)を乗せた三重四階の天守、二重二階の小天守など、城郭の意匠でまとめられています。其の外観は、彦根城や犬山城などの現存天守を参考に設計されており、戦後の天守閣建設のさきがけとなりました。
博覧会の会期中は「美の殿堂」として各種の展覧会が開催され、最上階からは富山市街のみならず立山連峰が一望できたため多くの人でにぎわいました。
会期終了後は郷土博物館として活用され、郷土のことを紹介する中心的な博物館であるとともに中心市街地のランドマークとして広く市民に親しまれています。
平成15年からは約2年をかけて耐震改修工事を行うとともに、内装を一新し、より多くの人が訪れやすいよう整備が行われました。
建設から半世紀を経た本建物は 富山市のシンボルとして また、戦災復興期を代表する建築物として、平成16年に国の登録文化財として登録されました。
平成18年3月 富山県教育委員会 富山市教育委員会
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富山城を訪問時はちょうど 新しく城跡公園の整備をしているようで 城跡公園の大部分が工事現場なっていました。
千歳御殿正門(千歳御門)
現地では、タテカンバンなどがまったくないのですが(立ち入り禁止カンバンのみ)で何かよくわからなかったけど 富山城唯一の現存遺構である千歳御門と呼ばれるもので富山市内から移築したもののようです※富山新聞
***富山市PDF資料より***
山城建築物の現存する唯一の遺構
千歳御門は、約百六十年前の嘉永二年(1849)、富山藩の十代 藩主前田利保の隠居所として城の東出丸(現在の富山市桜木町一
帯)との間に建てられた千歳御殿の正門。当時の御殿の名残を伝える貴重な建築物であり、富山城建築物で現存する唯一の遺構である。(※平成20 年3 月移築完了予定)
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***富山市発表***
千歳御門(赤祖父家表門)移築完成式について(ご案内)
日頃から文化財保護事業にご理解いただき、ありがとうございます。
このたび、富山城址公園内で進めておりました「千歳御門(赤祖父家表門)移築工事」が完了し、完成式(竣工式)を下記のとおり開催いたしますので、ご案内いたします。
記
1 日 時 平成20年7月11日(金) 午後3時から
2 場 所 富山城址公園 千歳御門前
(富山市本丸1-42 富山市営城址公園駐車場入口北側)
3 千歳御門概要 千歳御門は嘉永2年(1849)東出丸に築造された千歳御殿の門である。千歳御殿自体は6年後の安政2年(1855)に城下からの出火で消失したが、門は解体移築工事で部材の一部に「嘉永2年」の墨書が発見されたことから、安政2年の出火を免れた創建当初の建造物であることが確認された。
残存した門であったが、富山藩の廃藩により赤祖父家に払い下げられた。『赤祖父牛松誌録』には、「富山城の千歳御殿の門を明治初年に移築した」と記されている。
城門としては高壮堅固で保存状態も良く、度重なる災害や歴史の変革にあいながらも守り残された歴史的価値は多大である。富山城の唯一残る遺構であり、県下はもとより全国的に見ても藩政期における数少ない御殿の門と言え、同一の建築様式となる城門は「東大の赤門」で知られる重要文化財指定の旧加賀屋敷御守殿門だけである。
このたび、赤祖父家より寄贈を受け、城址公園内に移築された。
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入場券と歴史博物館で販売している富山城ものがたり
城跡公園内にある大きな木
クルマの大きさを見るとその大きさがわかりますよね! 工事現場の柵の中なので近くにいけませんでした。
まるでお堀のような松川
富山市役所の展望台から富山城を眺めることができます
富山市役所展望台 無料:月曜日から金曜日の平日 AM9:00~ 土曜日・日曜日・祝日 AM10:00~
富山市佐藤記念美術館の建物も櫓風
富山市内は路面電車が走っています
富山市内は、この懐かしい感じの 路面電車とは別に、富山港方面でカッコイー路面電車:富山ポートラムが走っています。
クルマで行くならカーキャリアを積載していくのがいいですね♪♪ THULE・TERZO・inno
その他 富山城について
富山城のモデルのお城
:犬山城