荒神山観音寺
現地カンバンから 引用ここから
荒神山観音寺
当寺は 寛治元年(1087年)四月堀河天皇の時代に建てられたもので、真言宗御室派仁和寺(にんな)に属し十一面観世音菩薩をお祭りしてあります。往古は神事山といい後ち高野山の一寺の名をとって高神山と改めました。
出羽の国湯殿山の行者 順海上人の異母姉にあたる三代将軍徳川家光の乳母 春日局(かすがのつぼね)は当寺に信仰厚く正保四年(1647年)銘入りのつり鐘とともに五体の仏像を寄進されました。
また、奥の院の三宝荒神は春日局と順海上人が礼祭りしたもので 暴悪治罰の神徳があらたかなため勝運を祈願されるかたが多くみられます。
慶応二年(1866年)四月八日ばく徒の神戸の長吉と桑名の穴太徳(あのう)が縄張り争いから当寺裏山で死闘をつくしたのが、後の世に「荒神山の血煙り」と題して浪曲となって当寺の名をいっそう広めることになりました。
ここまで
高神山の札
上を見上げると、(お城の)天守閣の天井にあるような感じで絵が書いてあるものが見られます。
境内は広く もみじも沢山あるので紅葉したらキレイかも?