三重県鈴鹿市白子本町
立てカンバンより引用
明治時代になり、県政がしかれてのち、この地に明治26年(1893)4月18日 白子町民(しろこちょうみん)の力で河芸郡役所が新築設置された。(なお、新築されるまでは、悟真寺境内の薬師堂に仮事務をしていた。)
この郡役所は、それから30年後の大正12年(1923)4月には、郡制の廃止に伴い役所の機能をなくした。その後は財務整理のため、しばらく団体事務所となったが整理完了により、そのあとに家事裁判所が置かれた。ところが、昭和28年(1953)7月夜火災が発生し、建物が消失したので裁判所は他に移り、後には、敷地と松ノ木だけが残り、その後現在の東児童公園となったものである。