鈴鹿観光ガイドマップから引用ここから***
庄野町に残る膨大な宿場関係資料の活用をはかり、あわせて旧小林家(鈴鹿市指定文化財)の保存を図るため、母屋の一部を創建当時の姿に復元しました。館内には、地域に残る民具、農具、日用品などを展示しています。
Many items related to the Shono Post Town, such as folk crafts, farm implements, daily neccessaries and so are on display in the museum. The house of museum was rebuilt with an original style, which existed in Edo era.
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現地カンバンから引用ここから***
庄野宿は江戸から百二里余 東海道四十五次にあたり、幕府の直轄領であった。他宿にくらべて宿立ては遅く、寛永元年(1624)といわれている。この宿は、「草分け三十六戸、宿立て七十戸」といわれ鈴鹿川東の古庄野から移った人達を合わせて七十戸で宿立てをした。南北八丁で宿八口の加茂町中町上町からなる。安藤広重の描く「庄野白雨」は彼の作品の中でも傑作中の傑作といわれ世界的にも高い評価を得ている。
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同じく三重県鈴鹿市にある蒲桜のある石薬師宿や亀山市にある関宿とともに東海道の宿場町として存在していたのですね。庄野宿のはずれには推定樹齢300年というわれる大木。「スタジイの木」があります
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2022-04-28削除