旧四日市市図書館 現在:すわ公園交流館
所在地:三重県四日市市諏訪公園内
現在、四日市図書館は別の場所にありますが諏訪公園内にある建物が昔の四日市市図書館だったレンガスクラッチタイルの外壁が美しく残る洋風近代建築物です。
2013年5月写真追加
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2010年4月写真追加
現在はすわ公園交流館として利用されているこの建物の中に入り 中にある案内から
引用 ここから****
■熊澤一衛
熊澤一衛は名実ともに四日市が誇る財界人、実業家です。
現在、すわ公園交流館として親しまれているこの建物をかつて図書館として寄贈した熊澤一衛は、明治10年(1877)年に三重郡河原田村で生まれました。熊澤家は代々藤堂藩の御金御用達を務めた旧家で、父は村長や県会議員を務めていました。
熊澤一衛は、三重県立津中学校を中退後、日露戦争に看護長として出征。
- 明治39(1906)年 に四日市製紙に就職
- 明治45(1912)年 取締役として、富士製紙との合併に尽力。
- 大正9年(1920)年 に静岡電力の専務
- 大正12年(1920)年 静岡鉄道の専務を兼務
- 大正末年(1923)年 に四日市銀行、伊勢鉄道の社長となる。
昭和6年の履歴書では、社長、取締役、監査役を努める会社が37社に及び、電力、電鉄、製紙、製材、林業のほか、汽船、化学工業、銀行、倉庫と多くの業種に及んでいました。また、熊澤一衛の業績は文化面にも及びます。
関東大震災で資料などを焼失して行き詰っていた。佐々木信綱による「校本万景集」刊行は、一衛の支えにより無事出版にこぎつけたのものです。
昭和15(1940)年2月17日に63歳で逝去されました。
- 起工:昭和3年7月14日
- 竣工:昭和4年1月15日
- 市立図書館
- 四日市大空襲:昭和20年6月18日 市街地が壊滅的被害をうけるが奇跡的に焼け残る。焼失した市立病院の変わりに病院となる。
- 市立図書館として復活:昭和24年3月1日
- 現在の市立図書館が建設されたため閉鎖:昭和48年7月10日
- 児童福祉施設「こどもの家」として使用される:昭和51年6月5日
- 国の有形登録文化財となる:平成15年1月31日
- すわ公園交流館として生まれかわる:平成15年8月22日
この建物は建設当時(昭和3年当時) 約40000円 現在のお金の価値で約3000万円だそうです。 すごい♪♪
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■お祝いの餅つきをするウサギが描かれています。
案内より引用 ここから***この建物を寄贈した熊澤一衛は月台という雅号を持ち、歌を好んだことに由来されるといわれています。***ここまで
案内より引用 ここから***起工された昭和3年を皇紀で表すと2588年になることから2588と書かれています***ここまで
案内より引用 ここから***小児像の噴水 この建物が出来た昭和4年からずっとこの場所で交流館を見守り続けています***ここまで
旧四日市図書館:登録有形文化財 2011年3月