末広橋梁(旧四日市港駅鉄道橋)
所在地:三重県四日市市末広町・千歳町
国の重要文化財(建造物) 現役可動橋です♪♪
三重県教育委員会HPから引用:ここから***
四日市港の千載運河に架る跳開式の鉄道可動橋。昭和6年の制作で,四日市港の発展過程を示す遺構で,陸上輸送と運河船運とが拮抗していた時代状況を物語る典型的な土木構造物として歴史的価値がある。
****ここまで
■閉まっている(降りている状態)
現地案内板より引用ここから***
国指定重要文化財(建造物 近代化遺産)
末広橋梁(すえひろきょうりょう)旧四日市港駅鉄道橋
末広橋梁は、現役では最古の鉄道可動橋で、昭和6年(1931)12月に製作されました。
この橋梁は、四日市港修築事業で埋め立てられた末広町と千歳町の間の千歳運河に架けられています。四日市港修築事業は明治43年(1910)から昭和3年(1928)までと、昭和4年から昭和11年までの二期にわけて行われました。千歳運河への架橋は第二期修築事業中に行われ末広橋梁の他にも、幹線道路には可動橋である臨港橋もかけられました。
橋梁は全長58m、幅4mの全体では五蓮の桁より成りますが、鉄道基点よりの第二連目から第四連目の三連が可動橋本体部にあたります。中央の一連(三連目)が、第二橋脚上に立てられた門型鉄柱側に跳ね上がる「跳開式」の可動橋です。稼働部分の前後に架かるプレートガーターには明治時代の「作練式」という桁が使用されています。橋梁の設計は、山本卯太郎の主催する山本工務所が行いました。
山本卯太郎は、近代日本における橋梁コンサルタントの草分け的な存在であり、可動橋を専門としました。末広橋梁は彼の代表的橋梁作品として橋梁技術史上高い価値があります。
また、四日市港の発展過程のなかで、陸上輸送と運河舟運が拮抗していた時代状況を物語る典型的な土木構造物であり、四日市旧港湾施設とともにわが国の港湾の近代化を示す代表的な施設です。
近代化産業遺産
末広橋梁は、経済産業省から「大量輸送を支えるため近代化・国産技術化が急がれた手tt橋・鋼橋の歩みを物語る近代化産業遺産群」に認定されました。
平成21年2月23日認定 H21年6月 四日市市教育委員会
可動時 臨港橋側から
可動時線路四日市市街地側(西)から
船の通過
末広橋梁のその先に
末広橋梁の先へ四日市港へ進むと 太平洋生コンの工場と貨物列車がとまっていました。
そして塔の部分
■その他
四日市港の歴史が四日市港管理組合のHPの中で紹介されています。
この中で 稲葉三右衛門(いなばさんえもん)という人が私財を投じて港を整備。とありますが 四日市の近代遺産は、私財を投じて地域の発展に貢献したすばらしい人物の手によるものが多いことに感動します。
最近見てきた中で、旧四郷村役場・亀山製糸室山工場などにかかわる伊藤傳七氏。旧四日市図書館にかかわる熊澤一衛氏など素晴らしい人物が三重県にはいたんですね!
日本が明治維新のあと、国家財政が豊かではなかっただろう時代に、私達のように後世の人のためになる事業をしてくれた偉大な先人のおかげで今の豊かな日本があるんですね。 今を生きる自分がさらに100年後に生きる人のために小さな事しか出来ないがやっていきたいものです。
四日市市には、近鉄内部線・西日野線という末広橋梁と同じく近代遺産と呼べる鉄道路線が今も現役です♪♪