定五郎顕彰碑
三重県鈴鹿市甲斐町
鈴鹿の国道一号線から市街地へ入る時に利用する定五郎橋(さだごろうばし)。鈴鹿に来た時から道をたずねたりしたときに耳にしていたのですぐに覚えたこの橋は一人の人間の熱意でもともと生まれたんですね。
現地カンバンから引用ここから
定五郎橋の由来 前川定五郎は天保三年(1832)甲斐村に生まれる。
甲斐の渡しを徒渉する通行人の苦渋を見て筏で渡し奉仕活動をする。六十五歳の時、四つ乗り船を自費で購入し行人を救う。同年、私財と寄付金で板橋を架橋したが、二旬を経ずして大雨で流失、再び寄付金と私財の全てを投じて二回目の架橋を行う。さらに本格的橋梁の建設を願い、関係町村や役所に熱情を以って説きまわり、明治41年11月その完成をみる。ときに定五郎77才この時、定五郎橋と命名される
牧田地区ふるさと創生事業推進委員会
ここまで
三重県には私財を投じて・・・という偉人が沢山いますね。全国的には有名じゃないかもしれないですが、その地域を愛する想いから情熱をもって取り組むすばらしい人達のおかけで今の三重県があるんですね。 ありがとう♪♪
四日市の四郷村役場を寄付した伊藤傳七氏。旧四日市市図書館を寄付した熊沢一衛氏。四日市港近代化に私財を投じた稲葉三右衛門氏など、その功績は現代にすると桁違いの金額でしか成し得ないような事業ばかりですね。
この顕彰碑の近くにある甲斐町遊園地のそのすぐ近くにある小さな時計台。
この甲斐町の近くにある牧田小学校にはこの地域の偉人:前川定五郎資料館が設置されています。