三重県名張市 藤堂家邸(とうどうけ)名張城跡
津城や 伊賀上野城の藤堂高虎の養子:藤堂高吉を祖にもつ名張藤堂家
現在名張市にある桔梗が丘(ききょうがおか)の地名 これは 名張藤堂家の家紋:桔梗からきているそうです。もちろん藤堂家邸の瓦にこの家紋が入っています。
この藤堂家の邸宅は名張城跡でもあります。
藤堂家邸 現地カンバンから引用***ここから
三重県指定史跡 名張藤堂家邸跡
名張藤堂家は、織田信長の重臣 丹羽長秀の三男で、津城と伊賀上野城を治めた藤堂高虎の養子となった高吉に始まる。
寛永13年(1636)以来名張にあって、二万石を給され屋敷を構えた。
建物は、宝永7年(1710)の名張大火で再建され、明治初年にその大部分が失われたが「御西」と称された中奥、祝之間、茶室など日常性格にしようされた奥向きの一部と正門(寿栄神社前に移設)が残る。
全国的に現存遺構の少ない近世上級武士の住まいの一例として貴重である。
***ここまで
■小学校前にある藤堂家邸
■建物の中に入れます 中では、鎧(よろい)兜(かぶと)もガラスケースに入って展示されています。これが結構カッコイー。
***現地説明文より引用***
名張藤堂家邸の地価に眠る石垣や建築物
名張城
- 天正9年(1581)9月 天正伊賀乱終結 名張郡は織田信雄が支配
- 天正12年(1584)3月 脇坂安治 伊賀守護
- 天正13年(1585)8月 筒井定次 球とから伊賀へ国替え 定次の与力 松倉豊後守勝重 8千石で名張城築城。翌14年3月65歳で没。・・・中略・・・
- 元和3年(1617) 一国一城例により 廃城。
- 名張藤堂家邸
- 寛永12(1635) 藤堂高吉。今治2万石から伊勢2万石に国替え。8月に大坂へ。藩命により伊勢二万石の内5千石を名張郡と替地。
- 寛永13年1月(1636) 名張の山村甚之丞宅に移り、古城跡に屋敷の普請。9月新宅に移る。名張城の縄張りをそのまま使い、屋敷をたてる
**ここまで***
名張藤堂家正門(太鼓門)
***現地ガイドマップより引用***
太鼓門は、間口16m 奥行き3.75mの長屋門形式の武家屋敷門で右側番所に出格子がつく 1万5千石を領した上級武家の格式にあった正門です。
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三重県亀山市に残る加藤家長屋門も立派な長屋門が残っています。のでオススメです♪♪
城下川や城下町の名残ある風景
■場所やこの付近の観光スポット
三重県名張市の玄関口 近鉄名張駅:ここから徒歩でも5分か6分くらい歩いた場所に名張藤堂家にあります。
■三重県名張市に「江戸川乱歩」生誕の地の石碑があります。
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