津城(安濃津城)
■三重県津市にある津城
三重県の国道23号線沿いのすぐそばにあります
■明治時代の津城 (カンバンから)
■現在ある模擬の櫓
■模擬櫓など
石垣は結構高く威圧感があります
国道23号線からもチラっと見える模擬の櫓
クルマで行くならカーキャリアを積載していくのがいいですね♪♪ THULE・TERZO・inno
----ここからカンバンにかいてある内容引用----
■三重県指定史跡 津城跡(つじょうあと) 津市 The Site of Tsu Castle
津城は、織田信長の弟 信包(のぶかね)によって築城された。信包は信長が伊勢へ勢力を伸ばしたとき、長野氏の養子に入ったものである。
天正(てんしょう)8年=1580年には五層の天守閣が完成し、当時柳山付近が中心であった津の町から町家や寺院が移され城下町が作られた。その後 富田氏が城主となり、慶長(けいちょう)5年=1600年関が原の戦いのとき西軍の攻撃を受け、城・城下町ともに戦火を受けた。
慶長(けいちょう)13年=1608年、藤堂高虎(とうどう たかとら)が伊予今治(いよいまばり)から移ってくると、城に大改修を加え城下町を整備した。本丸を広げ、石垣を高くして北側の石垣に隅櫓(すみやぐら)を築き、堀も整備したが天守閣は再建されなかった。津城は典型的な平城で、堀が「回」の字形に二重に巡っている輪郭式(りんかくしき)または、囲郭式(いかくしき)といわれる形の城である。
城下町は、城を中心に北・西・南側に武家屋敷、東側に町屋が置かれた。町外れを通っていた伊勢街道(いせかいどう)を城下に引き入れ、街の発展を図った。また、堀川を堀り、東側の守りとしたが、物資の運搬にも利用され商業の発展に役立てられた。さらに堀川の外側には寺院を配置し、万一の備えとした。
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藤堂高虎は伊賀の上野城の城主でもあります。
織田信長の伊勢侵攻についてはは鈴鹿の神戸城の説明にも出てきました。
名張藤堂家邸が現存しています
■関連リンク
- 記念事業「津城復元模型」の作成作業公開についてpdf※この津城復元模型につきましては、三重県所蔵の本丸周辺の櫓(やぐら)などの実測図である「御城内御建物作事覚 四(ごじょうないおんたてものさくじおぼえ よん)」の発見により本丸周辺の建造物の復元が可能となったことから、藤堂高虎公入府400年記念事業実行委員会が三重県技能士会に委託し、作製しているものです。
- 公募 2009年 津市津城跡の整備・活用を考える会委員会を公募
ネットで見つけた津城に関して書いているHP 津城の復元画像がおもしろいページ
観光みえ 観光情報を掲載している三重県(行政)HP